パプリカ(作詞・作曲 米津玄師)
米津玄師 MV「パプリカ」Kenshi Yonezu / Paprika
「パプリカ」は、米津玄師の作詞・作曲、プロデュースにより製作された楽曲。
「〈NHK〉2020応援ソング プロジェクト」の一環として、音楽ユニット・Foorin(フーリン)歌唱バージョンが、NHK総合『みんなのうた』で2018年8月より放送開始。
同月15日にはシングルをリリース。
8月1日から米津玄師による「パプリカ」のセルフカバーが、同じくNHK総合『みんなのうた』にてオンエア開始。
若者だけでなく子供にも大人気の「パプリカ」、その「パプリカ」に関するネット記事でこんな記事がありました。
米津玄師『パプリカ』は“原爆”に関する歌だった? 裏テーマに驚愕…
クリックすることでアクセス数がアップするのは嫌ですが情報元として載せておきます。
記事の内容をまとめると
どこの誰だか分からない名無しの音楽ライターが、米津玄師さんがセルフカバーしたパプリカのMVの映像の中に原爆に対するメッセージが込められており、これは米津さんなりの反戦と平和を願う思い、、、だと考察できる。
上記の通り、終始一貫して勝手に考察してるだけの妄想記事です。
音古知新としてこの記事の嫌なところは
・記事のタイトルが考察記事だとわかりにくい。
「?」を付ければ良いってわけじゃない。
・記事を書いたライター、考察をしている音楽ライターが匿名。
個人サイトじゃないんでしょ?
・『動画投稿日の8月9日は長崎市への原子爆弾投下の日』
なんとなくそれっぽく理由つけてるけど、それなら最初に投下された8月6日の広島にしてんじゃないの?
です。
米津玄師さんは自分が確認したかぎりでは『パプリカ』についてネットやテレビで語っている中で原爆や反戦等についてコメントしたことは一度もありません!
――歌詞は、森で駆け回る子供たち、田舎の日常の中で遊んでいる子供たちの情景が浮かぶようなものになっていますね。これは自然にそうなっていったんでしょうか。
そうだなあ、自然にかどうかはわからないですけれども。5人を選んだ瞬間から、少なくとも2020年まで、自分が作る1曲によって5人の人生が大きく動くわけじゃないですか。そうなったときに、生半可なものは作れないと思ったんです。自分はその5人の後を押すカタパルトのような機能を果たさなければならない。そうなったときに、自分の中にあるものを信用しなければならない。言葉にするのは難しいですけれど。
――でも、この歌詞は一人で木陰で泣いている子の情景を描いた2番も含めて、「誰かを応援する」ということの難しさにすごく誠実に向き合って書かれていると思います。
それは、必然的にそうなったと思うんです。子供が歌って踊れる応援ソングというオーダーがあって、でも、実際に作る時点で「子供に応援ソングを歌わせるって、どういうことだろう?」ってハタと気付いたんです。本来、子供って応援される側の人間じゃないかって。「俺は何をやってるんだろう?」みたいな感じになって。子供が歌う応援ソングというのはイビツなことだと思うようになって、なおさら「頑張れ」とか、そういう言葉は死んでも歌わせられないと思った。そこで自分の中を紐解いて作っていったんです。自分がなんでこれを選んだのか、それに対する答えはまだ出てないと思うんですけれど。
この放送でも原爆や反戦等については一切語っていませんでした!
たぶん人によっては。
・『まいじつ』って、『週間実話』の日本ジャーナル出版じゃん、実話レベルの記事でマジになんなよーw
と、言われそうですが『週間実話』に書かれているのなら特に問題視しませんが、ネットで誰でも閲覧できる記事としているから嫌なんです。
見たくなくても米津さん関係を検索したり、検索履歴などからオススメ記事として出てくるから本当に質が悪い。
ちなみにこの記事、エキサイトニュースに転載されており、より真実性がありそうになってます。
試しにTwitter等のSNSで『米津玄師 原爆』で検索してみてください、このアホみたいな説を信じてる書き込みがいっぱいあります。
・反戦なら良い意味で解釈されてるんだからいいじゃん。
だと思うなら記事を書いたライターも考察した音楽ライターも名前を出して書けばいいのでは。
匿名にしなければいけない理由があるんでしょうか?
現在、日本で人気、実力共にトップクラスの方なのでゴシップも含めて有ること無い事さまざまなことが記事にされるとは思いますが、大事な作品が個人のアホみたいな妄想的解釈がエセ真実として広まっていくのは温故知新としてはすっごく嫌です。